serial experiments お前ら(ネットで幸せになったのだろうか)






2018年。

人類は新しいものを作るやる気がもうないので、毎年様々な作品のリメイクやリバイバルが行われており、今年は映画「ボヘミアンラプソディ」が大ヒットし、映画館でCGの観客に向かって「テーオッ」「テオッテオッテオ」と叫ぶフレディマーキュリーの姿を見ることができた。



それを見た色々な人が様々な媒体やインターネット上で当時のことを語ってくれて、クィーンの活躍した時代、日本の若者がどんな暮らしをしてどんな風に音楽を楽しんでいたか見聞きする機会にも恵まれた。

映画の後半に流れるRadio gagaの歌詞を聞くと、当時はラジオからテレビへの移行が完了したくらいの時期で、フレディマーキュリーは雑多な音楽をラジオから聞いて、自分自身の創作にぶちこんだんだろうなという感じの歌詞になっている。


で、テレビで音楽が聞けるようになってラジオはあんまりきかなくなるかもしれないけど、それでもラジオは俺の昔からの友達だよ…みたいなやつを巨大スタジアムで万単位の客と大合唱する映画を見ていて、当時の人たちはすごく羨ましいなと思った。


映画を見終わって外に出て思ったのは、「あー、これになるべきだったなあ…」という感想だった。


ああいうふうに音楽に打ち込んで、ステージに立ち、太く短く生きて若いうちに死ぬべきだった。十代の頃は、割とそれをやる手段を真剣に模索していたのだけど、だんだんモチベーションを失ってダラダラと生きてるだけになった。結果として。

なんでそうなったんだろう…なんで俺は!音楽を!できなかったんだろう?!とさかのぼって考えてみて、やっぱだいたいインターネットのせいなんだよな。



というわけでlainの話です。




アニバーサリーイヤーということで、クラブサイベリアを模したイベントが行われたり、アマゾンプライムで無料でlainが全話見れたりと、久しぶりにあの陰気な謎コンテンツに触れる機会を得た。

ねとらぼの記事
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1807/21/news005.html

無料で高画質で全話見れるので流して見たけど、Amazon primeでLainを見終わって思ったのは、ステージ上でパフォーマンスする伝説的ロックスターの映画を見たときと同じで、「あー、これになるべきだったなあ…」という感想だった。


俺もネットワークのあちら側に行って何かわけのわからない存在になってしまうべきだった。あるいは、もっと完全に引きこもってネットと脳を直結して「いま僕は昼下がりの公園を散歩している!お日様って温かいなあ…」の画像のようになるべきだった。

これになるべきだった。



今ではスマホやブロードバンドの恩恵により、無限に無料で音楽が聞けたり、美少女になってネットの向こうでしゃべるおじさんの生放送が毎日80時間視聴できたりする。

しかし、自分が子供の頃はまだインターネットが低速で、普段音楽を聞くのも新しい音楽を見つけるのもまだパソコンがメインでなく、ラジオとテレビとモデムの時代だった。

当時のモデムでつながるピーガラガラガラという音を経てからインターネットで取得できるコンテンツは限られており、ほぼ文字と小さい画像くらいで、音楽や動画は今みたいに気軽に探して見つけることができなかった。

インターネットで無限にいろんなコンテンツを見れなかったので、人からCDやゲームを借りたり、たまたまみたアニメの主題歌で新しい音楽を知るなんていうのが新鮮な音楽体験として唐突に自室に降ってくるような機会がそれなりに貴重であった。

インターネットで音楽は聞けなかった時代、テレビやラジオで新しい音楽に出会うという感覚は、今ではもう味わえない偶然と感動の詰まった体験であったのだけど、それでこの曲にも出会ったんすよね。





今聞いてもすげえかっこいい。

「And you don't seem to understand」と一行目から自分は周りから理解されてないオタクに響く歌詞で素晴らしい。
「I am fading, I am falling」というサビ部分も完全にインターネットやりすぎの倦怠感を表現しているように思えるし、この作品が作られた当時のバブル後氷河期感が完全に表現されているようにも感じ、陰鬱とした時代性も感じられとても良い。



で、その主題歌で始まる物語、各所に当時誰がこんなの予想してたんだというものがいっぱい出てくるのだけど、最たるものとして「ナビ」というのが数十年前のアニメに出てくるパソコンに実装されているコルタナとかSiriとかアレクサみたいなやつで、これ完全に現在を予見してない????

そんな、数十年前のアニメ作品の世界にようやく近づいた感じのする現代なのですけど、昔はモデムのインターネットで不便してたユーザーが、光回線の高速インターネットを得て、スマホでどこでもコンピュータ使えるようになって、それで俺たち幸せになったの?て部分どうなんすかね。。。。

昔は文字だけのパソコン通信やインターネット、それなりにコミュニケーションをみんな楽しんでたと思うのだけど、今はむしろ画像や動画を見て回るユーザーが大量にいる方がマジョリティで、他人と深いやり取りできる感じでもなくなってきた。

特定ジャンルの同好の士が和気藹々と語り合ってる場にライトユーザーが大量に流れ込んだり、若者の楽しんでいたコミュニティにおっさんが大量に流れ込んだり、女子高生のゆるい日常を垂れ流すアプリにおっさんが大量に流れ込んだり、まあだいたい大量に流れ込むおっさんが悪いのだけど、それで廃れるサービスやアプリもたくさんあって、入れ替わりが激しい。

インターネットで全世界の全世代が同じ所にアクセスできるハズなのだけど、それでみんな仲良くなったかというと、逆に隔たりが可視化されたみたいなところがあって、様々な立ち位置の様々な人々があらゆる手段で毎日罵り合っており、あるTwitterユーザーが毎日やばいこと言ってたら世界最強の軍事力を持つ国家の大統領になっちゃったりして世界がやばい、だいたいインターネットのせいで戦争が起きたり革命が起きたり妬み誹り差別暴力が便利にやり取りされているというのが2018年。

音楽や映画、あらゆるコンテンツが無料で万人にアクセス可能だけど、探すの大変すぎてクソみたいな動画をかき分け、クソみたいな広告をやり過ごし、そして美しい作品にたどり着く頃には疲れ果てて集中して楽しむこともできない。それで、我々はなんか幸せになったのだろうか。

個人的にはもうネットに何も期待してなくて、むしろフィジカルな体験とか、時間をかけることでしか得られないスキルを求めてパソコンを置いて出かけたりした方がいいんじゃないかと思ってる。だってネット、だるいもん。

そんな流れで、今年しばらく色々考えたあとやろうと思ったことの一つが、ドラムの練習。だいたい毎日三時間、週休二日くらいでやっているのでもはや仕事時間のちゃんと働いている時間よりも多くの時間でそれをやっていると言える。

で、上記のように動画を無料で見たりしてる履歴から、適当に再生してると唐突に知ってる曲が流れてくるのでそれに合わせて叩いてみたりしている。クイーンの曲とかLainの主題歌とかに合わせて、子供の頃やりたかったけど場所がなくて練習できなかったドラムを叩いていると、なんか今中学生の頃やりたかったようなことを、中学生の頃はSFの世界にしかなかったようなツールを使ってやってるな。。。。と思うことがある。

来年はコンピュータやネットからさらに足が遠のくかもしれない。だってなんかだるいもん。。。。。

という記事を書いている2018年のパソコンの画面には、タンクトップでピアノ弾くおっさんの姿とキャミソールでパソコンする少女の姿が表示されているのだけど、お前ら同じような格好してんな。

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