#何もわからない夏2018

完全にずっと何もわからない状態が続いていて、年明けに仕事をやめ夏まで一切働かずに暮らしてみることにした。

しかし…七月に至っても全くやることは思いつかず焦っていた。そこで、考えをメモするためにこの

#何もわからない夏2018

というタグでまとめていくことにしたのだ。



減退。

これが年をとっていくということか…と呆然としながらただ何もできず時間が経過し寝て起きて寝る。それを繰り返すのみで今年は本当に何もできなかった。

でも、これまでの人生で、ただの一度でも何かをできたことなんてあっただろうか?何か一つでも、何かがわかった瞬間なんてあったのだろうか?

おそらく物心つくよりも早くから、ほとんど常に、「何をしたらいいんだ…残りの人生で何ができるんだ…」とあと数年で死ぬ人みたいな言動をずっともう小学校とか高校生の頃からしていて、どの時点での同級生に会おうとも、「お前十年前も何したらいいんだって言ってたよな?」と指摘される。「刹那的」みたいなことをずっと言われてるのだけど、それは、人生で何をしたらいいのか全く何もわからないからだ。

理由として思い当たるのはいくつかあって、祖父母などの死ぬ間際の人を見て子供心に衝撃を受けたのだろうな、というのと、それに比べてなんの目的もなく生きてる大人が人生を目的もなく過ごしているのを見て、なんてもったいないんだろうと感じていたからなのではないかと思う。

父方の祖父が死ぬ数ヶ月前、最後に彼に会いに病院を訪れた際、「…最後に何か…人生のアドバイスみたいなやつをもらえないかな…?」と聞いたところ、ベッドの上で彼は「功を焦るな」と言い残し、そして死んだ。

どうも先祖代々「あそこの家のやつは賢いが頭がおかしい」みたいなことを周りからは言われていたようで、そんな家系で周囲から奇異に見られたりして生きてきた祖父も年老いてなお回転の早い頭を持て余しており、同じ思考速度でおしゃべりしたり趣味が合う人なんて周りにはいないため、常につまらなそうに暮らしていた。

彼について覚えているのは、本当にやることがなさそうで定年退職後に手持ち無沙汰からかタバコをずっと吸っていたこと。そして、一度パチンコに幼稚園か小学校の頃連れて行ってもらったことだ。

景品のチョコレートをもらいつつ、彼の賢さでもこんなふうに暇を潰すしかないなんて、と物悲しく思ったのを覚えている。

それで日々タバコを吸うしかなかったり、暇を持て余して孫を連れてパチンコに行くくらいしかやることがない状態で暮らしていた祖父は肺ガンで死んだ。

なので、割と小学校の頃から、この町にいたら退屈で死んでしまうな…文字通り、何もできずに死んでしまうな。と考えて早いうちから東京に住むための算段を考えていた。

祖父はそんな暇さゆえか、たまに遊びに行くと色々話してくれたり、今こうやってコンピューターを使えるのも、中学生のとき期末テストで全校1位とったらパソコン買ってやると祖父に言われ、それで買ってもらったからという経緯がある。

コンピュータを使えるようになろうと思ったのは、近所の同級生がパソコン通信をやっていてなんか楽しそうだったからと言うのが大きい。自分のPCを手に入れる前はBasic教室に行ってgoto文を書いたり学校のパソコンでゲーム作ろうとしてたような気もする。最初にDTM的なことをやったのも友人が学校のPC上で動かしたDTMソフトであった気がする。

パソコンの話じゃないや。何もわからない夏の話だ。

そんなわけで父方の祖父はやることがなさすぎてタバコを吸いすぎて死んだ。では他の親族はどうだったかというと、結構子供心にクる最後であった。

母方の祖父は直接最後の時期に会っていない。聞いているのは「管だらけになって死んだ」ということ。小学生の俺には見せられないから連れて行かれなかったのだと思うが、ガンで死んだとか肺炎だとかだった気がする。死やそこに至るまでの闘病を直接見ていないぶん、あらゆるすべての情報源が少年ジャンプと図書館の本であった俺には何か入院とか死というのが得体のしれないものに思え、そこで多分「人間はいつか死ぬ」と言うことを意識し始めたのではと思う。

母方の祖母は寝たきりになり、自分で発話することもできないが意識はあるという状態で数年生きていたようだ。高校の頃数回病院に連れて行かれたので多少覚えているのだけど、母親から状況については共有されていて、その頃母から聞いた1つのキツいエピソードが俺のその後の生き方に影響を与えたに違いないと考えている。

自分で声も出せない、身体も動かせない、歩けないし文字も書けないという状況で、コックリさんで使うような文字盤の上を目線、もしくは誰かに指差して選択したい文字のところで「それ」という表情をすることで、短文でなら会話ができたという。

で、母があるときその文字盤を通じて言われたのが「しにたい」の4文字であったとのことだ。寝たきりの実の親からその四文字を突きつけられた母は相当堪えたと思う。俺も衝撃を受けて、「死ぬときになってアレをやれば良かった、あのときこうすれば良かったと後悔しないように生きよう…」と決心したのはその頃であったように思う。

父方の祖母が1番長く生きていたが、最後の数年は認知症で完全に我々も彼女が何を言っているかわからなくなっており、既に東京にいた俺は症状を伝え聞く、または帰省したときに様子を見に行く程度だったが、他の3人の祖父母と違い、歩けるし動ける状態で生きていても、わからない状態になってしまう。他社と断絶してしまう、その状態はまだ20歳前後だった自分には衝撃だった。

明日は我が身、というほど直近の事ではないにしろ、いつか死ぬ…生きていても何もわからない状態になってしまう…そのことは大いに俺の人生に影響を与え、他人から「生き急いでいる」「刹那的」「突然わけのわからないことをする奴だ」という感想を得るような行動に駆り立てる一因となった。

高校のころは自分自身で何かする手段や予算が手に入らず気が狂うのではないか?とも思ったけれども、幸か不幸か発狂もせず、廃人にもならず、犯罪者にもならずひここもりニートにもならず、大学進学で東京で暮らし始めることができた。

東京で暮らし始めてからメチャクチャに詰め込んだ生活や各種活動と完全に頭がおかしい行動を全力で開始してしまったのも、今振り返ってみれば自分が子供の頃見聞きした祖父母の死に様が大きく影響を与えていて、ならばその前に、思いつく限り、いろいろな場所に行っていろいろなものを見たり食ったり遊んだりしたいと思っていたからだ。

その過程で語学やコンピューターのスキルがついたり、各地で得難い友人ができたりもしたのだけど、東京での生活、その後毎週のように海外をフラフラしに行ったり、30回以上引っ越したり、そんなめんどくさいことずっとやってるのはなんでだろう…何なんだろう…と自分でも意味がわからないと思っていた。

だけど最近は、過去に行きたかった場所には何度も足を運んでしまい、todolistにかつて書いたことはだいたい終えてしまった。

どこに行くかのアイデアが全く思いつかなくて「どこか行きたいとこある?自分ではもう何も思いつかないからお前の行きたいとこを教えてくれよ。行くから。俺が」みたいなことを数百人の友人知人にきいてまわり、実際に彼らが一生に一度はいってみたいと言うような場所に年数会足を運んだりとか意味のわからないことをしていた。

で、実際行ってみると自分が興味ある場所ではないから現地で何をしたらいいのかわからず、世界各国のスタバや公園のベンチで虚空を見つめて時間が過ぎるのを待つような旅を繰り返すようになっていった。

その傾向は旅行だけに留まらず、食べるものも何を選べばいいかわからないから他人に決めてもらうしかなくなり、社食が充実して日替わりで勝手に出てくる場所で働いたり、様々なジャンルの飲食店を巡る友人知人にオススメ教えてもらってリストを作り潰していくような消費行動を取るようになった。


会う人会う人、「お前の趣味何?やること思いつかないからお前の趣味を教えてくれよ。やってみるから」のような感じで、なまはげが悪い子はいないか聞いて回る頻度で会う人に同じ質問をして何したらいいのかのヒントを聞いてみていた。つまり、全員にだ。

けど、やっぱりそれらは他人の趣味であり好きな店であり行きたい場所であったりするので、ちょっと目新しくあったとしても自分にはフィットしなかったりして、結局自分の中に答えはあるんだろうなという感じで時間をとって自分の考えや行動のルーツを遡り、過去にやりたかったこと、行きたかった場所になぜたどり着いたか、それらのモチベーションがどこから湧いてきたのか考えるとともに、何をすべきか模索しようと足掻いてみることにした。



突き詰めて考えた結果、「なんかで読んだから」だということがわかった。

なぜベネツィアやニューヨークに行きたいと思ったのか?なんかで読んだからだ。(ジョジョの二部かもしれない)なぜフランスに行こうと思ったのか?なんかで読んだからだ。(多分小学生の頃読んだルパンシリーズ)なぜロンドンに?(ホームズ)

進学先もどうやら好きなミュージシャンの自伝を読んで決めている。もしくは「ゲーム会社に入るには学歴が要る」と何かで読んだから。東京に住もうと思ったこと自体も何かで読んだから、多分進研ゼミとかの何かで読んだから。

語学も身に着けようとしたきっかけは「読んだから」で、コンピュータースキルも「ツクール雑誌とかゲーム誌で読んだから」であるだろうし、楽器を作ったりしたのもパーツの広告とかヤングギターの楽器制作記事を読んだからであるのだろう。



色々考えてみてある程度の結論は出て考えはまとまったのだけど、それらの模索及び振り返りのまとめとして、ハワイに2回行き、アメリカ横断もしてみた。








アメリカに行く回数が増えているのも理由があって







ニューヨークにはもう十年以上、毎年1~2回行って散歩している。
http://www.m43.net/2009/06/?m=1



理由は明確なものがあって、





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