d100627 引き続き欲しい物が無い/144400/昔の俺なら今日北京にいたはず/上位レイヤーによるニンジン効果 /殺意と読書/ものおもいのふけり方.03

7年前のログより。
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JUN 26, 2010
d100627 引き続き欲しい物が無い/144400/昔の俺なら今日北京にいたはず/上位レイヤーによるニンジン効果 /殺意と読書/ものおもいのふけり方.03
ブログの過去ログ読み返してみたら、去年の六月はなんか色々動いてたな。
去年の六月
  NYにしばらくいた。(目的は散歩とカレー)
  ・半分くらいシンガポールにいた。
  ・チャリでつくばまで行った。
  ・ケイタイモさんに会いにいった。(monghangビートクルセイダーズ)
引き続き買いたい物が無いので、iphone4予約、メモリの増設、HDDの換装を行った。
3Gを買ったのもう二年前かよ。。。。
m43.net—080913-いpほね感想.html
ヒマ過ぎるのでiPhoneを買ってみたら、メモデバイスとして重宝するようになり、多少やりたい事が俺の脳から掘り起こせたのでNY行ったりシンガポールに行ったりしてたのが去年。去年の今頃も、「物思いのふけり方」というエントリを書いている。考えをまとめてやることを絞り出したいというのは去年から変わっていないな。
物思いのふけり方
m43.net—d090607-君の名を呼ぶ服が無い-可愛さ余って憎さ宅配.html
んでその後3GSを二台買った。アンドロイドに完全移行する前のエントリがこれ。
 m43.net—d100429-iphone3台買って一年半使ったいまアンドロイドentrypostmanなら俺の隣で寝てたよ時間を捨.html
・他にやる事が無いので、メモリを増やした。
同じだけのデータを読ませたらきっちり1.9Gの余裕ができた。ほんのちょっと足りないだけだったようだ。過去ログをみると、半年前からメモリを増やすべきだと感じていたようだけど、やる気が無くて手をつけていなかった。
m43.net—d100129-メモリタリナイムラホロブ.html
HDD7200RPMの物にした。
 ちゃんとDTMに集中できてた頃はラップトップでも7200回転のにして、少しでもパフォーマンスあげようとしてた。
最近しばらく、「こんなに欲しい物が無いのはマズいな。買いたいと思った物を即買えるように、ある程度現金持ち歩かないと。」みたいな事を思ったりしたので、とりあえず毎日財布に1020万入れておいてみたのだけど、何も買っていない。15万下ろしたりしても、路上でケバブ買って食うのに600円。飲み会で3700円、漫画喫茶に1300円で144400円残るとかそう言う感じ。やはり、モノが欲しいわけではないな。
会う人会う人、「時間と金が自由になったら何します?」と聞いているのだけど、以前、友人に「そろそろ金と時間があったら何やるか決まった?」と聞かれて答えたのは、「なんか作ると思う。売られているもので欲しいものはない。作りたいものはいっぱいある。」ということ。
m43.net—d081027-ブステリックヒルー.html
けどまあ、何もまだ作ってはいないな。制作環境のスペックアップをはかれば少しはやる気になるかと思って、とりあえず増設とか高速化をできるだけしてみた感じだ。
あと、北京にいる友人から、「日曜北京に集合なー」みたいなことを言われていたのだけれど、前日に予定があったりして結局行かなかった。以前の自分であれば、即チケットを買って現地入りし、普通にスタバで人民元でフラペチーノかってインターネットしてたはずだ。チケットも3万台からだ。しかしまあ、世界のどこにいようが適当なカフェでパソコン開いてるだけなので、地下室でも独房でも宇宙ステーションでも珈琲と電源だけがあれば何でもいい。
以前も、「今大阪で飲んでるんだけどこない?」と言われて即行った事があった。
m43.net—070825-たこ焼きダークネス青のり.html
他にも、国内なら即日、海外でも一週間以内に何となく到着して特に何もせずだらだらしていることが多々会った。「カナダで仕事手伝わない?」と言われて即手伝いに行った事もあるし、ちょっと以前はフットワークがもう少し軽かったような気もするのだけど、ヒマだから誘われたらとりあえず行っていたって感じだな。「マジで来たのwwwww冗談のつもりだったのにwww」という相手の反応がみたくていやっていたのかもしれないのだけど。。。おそらく、必要なのは、「ローンor扶養家族による子泣きジジイ効果」かもしくは「上位レイヤーによるニンジン効果」だ。 
前者は要するに、富樫が念能力で表したように、「制限を加えると能力がアップする」のだ。家族を養うために仕事に打ち込むとか。女に服買うために稼ぐとか。家のローン返すために出世狙うとか。ってな部分。
後者は、目標、こころざし、キャリアビジョン、ボーナス、試験合格、とか、目標やら未来の何かにつながる事を期待して自分自身を鼓舞してやる気を出す手法。日本の発展のために!とか、より良い社会の実現のため!とか、生まれてくる子孫のために!とかのデカイ目標でも、ニンジンのかわりにぶら下げられる物であれば何でもいい。「モテたい!」とか「カネが欲しい」とかでもそれなりに効果はあるだろう。
なので、対外的にはこういう目標を掲げてみる事にした。「砂漠を緑化して運河をひいて未来都市造るために5000兆円必要だから、そこへの布石としてこれをやってます」と。その過程で、「日本の借金1000兆円を俺が負担して負債作った奴らにバーカバーカって言う」というタスクも処理できたり、「アップル買収してiうまい棒配るwww」とか「リニアモーターカーで山手線作って二秒で新宿から品川まで半回転」というtodoにチェックを入れられたり、そんなこんなでヒマもつぶれるだろう。だからはよ来いiPhone4
それはさておき、自分の視界をひろげてやりたい事/やるべき事を考える為に読書が今絶対に必要だと思うんだけど、どの本にも食指がのびない。本だけじゃなく、DVDとかもそうだし、本屋やレンタルビデオ屋に出かけ、現地で立ち尽くす事が頻繁にある。「何か無いか」と思って店にいけども、「何か探すのがダルい」という感じに帰結して店内で立ち尽くす事が多い。買い物に出かけて、何も欲しい物が無くて、繁華街で立ち尽くす事も多い。
おそらく読書をするテンションになるには、もうちょい殺意が必要なのだと思う。マッドサイエンティストが人類の滅亡を願いながら科学書を乱読するように、高校生が爆弾を作りたくて図書館に通いつめるように、そういう殺る気を保持しつつ読書をするテンションになれればいいのだけど。
iPhone4で「いつか殺す奴リスト」アプリでも作ればいいのかな。facebookアプリで大量殺戮villeみたいなのを作ればいいのか。やる気と殺意と嫉妬と上昇志向はたぶん密接に結びついてると思うのだけど、それぞれゼロに近い。
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D100702 狂気のSATA/ゼロマシン・コンピューティング/何かに祈る服がない/ものおもいのふけりかた.04
パソコンがないと不便すぎて死ぬ!
さっきレンタルビデオ屋を通りかかって借りて帰ろーかなとふと思ったけど、帰宅しても再生が不可能なんだった。もともとテレビを持っていないし、昨日すべてのパソコンを処分したからだ。
 本当にやりたいことがないので、とりあえずMacBookProのメモリを最大にし、最高速のハードディスクに載せ換えたのが先週のこと。現在考えられる最善の環境に整備したつもりだ。そして昨日、その最強に強まったノートパソコンを手放した。
色々と環境を整えようとパーテションを切ったりもしていたのだけど、そのまま購入しSATAディスクとメモリごと友人に譲渡した。 自分でも本当に意味がわからないと思っているのだけど、もいういいや、と思ってしまったのだ。
自分のブログを確認すると、ここ数年、ずっとPCを手放したいという文言が定期的にポストされている。曰く、「毎日2キロの鉄板を持ち歩くようなものだから、とにかくPCを手放したい」「世界のどこにいようとも、どこでパソコン開いてるかだけの違い」。 物理的な重量以外にも、別の側面で重かった部分もある。「いつかやらなきゃなあ」という、作業しかけのファイルや未整理のデータやtodoリストなどで満載されており、いわば「過去にやり残したことの集積」を内包した2kgの板を持ち歩いていた様な意味もある。今ではすべてを参照することができないので、本当にすっきりした。俺は自由だ。
ギターを家に持ち帰らないギタリストがいた。曰く、「家庭に仕事を持ち込まない主義だから」同様の理由でパソコンを家におかないプログラマもいた。そういう人達はオンとオフ、仕事と家庭がわかれてるからそれが出来ていたと思うんだけど、自分の場合はオンでもオフでもパソコンに完全依存していた。半径一メートル以内にパソコンがない状況というのは実に16年ぶりだ。世界のどこにもラップトップを持って出かけ、帰省時もパソコン。デスクトップPCをカバンにいれて帰省していたいたことすらある。
下記のエントリで書いたのだけど、 
m43.net—03オタクうらやましいあれから僕たちは何かを信じて来れたかなあそんな物は見えやしねー信.html
趣味や仕事や薬物や恋人や家族や宗教への参加、依存、傾倒、逃避、熱中などは同じ種類のエネルギーが違うベクトルで発生した様なものだと思うのだけど、俺の場合は酒もタバコもやらない代わりにパソコンをしていたのかもしれない。恋人とデートする代わりにパソコンを持ち歩いていたのかもしれない。仏壇に手を合わせるかわりにキーボードの上に手をおきディスプレイを拝んでいたのかもしれない。
ゼロマシンコンピューティング、というフレーズが思い浮かんだのだけど、インテルCPUEthernetのついてないデバイスは周囲から排除出来たものの、電話や電子レンジなどには広義の意味でコンピュータが入っている。ワークステーションやらラップトップやらメインフレームだけがコンピュータじゃないのよね。 パソコンが便利な時代は終った。今日もミーティングにiPadだけ持ってきたやつがいたし、俺もこのクソながいエントリをiPhoneだけで書いている。
今まで使っていた環境を切り話すと自分のエッセンスが相対的にふえるのであれば、パソコンを捨てた今、俺は何をするんだろうか。 とりあえず思い浮かんだことは、サイフとiPhoneと充電器だけ持って東京駅にでも向かってみようということ。そこからどこへ向かうのか、自分自身を観察してみたい。 
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みたいなことをデニーズで考えていた2010年。不毛であるし、事件はデニーズのテーブルの上で起きている訳じゃない。
自分は十分に電池の持つ環境をキープするために、年間2回くらいmac本体ごと買い替えて移行してるんだけど、友人とかはACアダプタが無いと安心して作業ができない環境だったりするので一人で作業しない場合はたいていルノアールになる。
コンセント縛りにとらわれなくていいようにやっていること:
電池とか
・拡張電池、大容量電池がのせられる機種は、購入時に最大の状態で注文する
・電池がへたったらすぐ買い替える(買い替えなければ場所代の方が高くつく)
・電池の消費を抑えるような設定にしておく(OS、アプリ、HW 
電池が切れたらコンピュータ無くても別の作業できるように
・読みかけの本を持ち歩く
・手帳にtodoをまとめてデジタルと重複させとく
・考えることのリスト、頭だけ使えばあとはメモればいいことを用意しておく
PC以外の何かをもちあるく(iphoneでもWMでもLinux携帯でもpalmでもポメラでもなんでもいい)
・友人・知人と一緒に作業すると、電池が切れたら会話すれば何かが進んだりする
番外:
店舗に縛られないように無線LANを無視:
docomo,SB,イーモバイルいずれかの携帯モデムでおk
ファミレスでも路上でも移動中でも作業可能。
みたいな感じで、デニーズ快適に作業をするにはある程度の熟練と準備が必要になる。それがない場合は電源や無線LANスポットを求めて夜をさまよい歩き、ルノアールで1400円払ってピザトーストと見ずだしアイスコーヒーを注文するハメになる。
そんな、どこでも快適に作業できる環境を用意したところで、特にやるべきことが設定できていなければ無意味だ。ふらふらすることでユニークな着想を得たり気分転換になったりするものの、それを何に使うかの選定が肝要だといえる。


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1-8 「ふらふらしていたい」がコンセプトの人生も潮時といえる(後述
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2000-2010年は、「ふらふらしていたい」をコンセプトに、確固たる決意を持って、鉄の意思で、他のすべてを犠牲にしたとしても、ふらふらするようにしていた。字面だけだとナメてんのかと多方面から罵られるのだけど、過去に自分が書いた散文詩より抽出して、その概念を説明できるかやって見ようと思う。(ちなみにこの2010年まとめの中でも各所で「ふらふら」という単語が数十回出てくる
  ・ふらふらしていたい(フレキシビリティを確保していきたい→PTにいきつければいんだけど)
PTというのはパーマネントトラベラーのことで、ホテルを点々として暮らしてるような輩のこと。そこに行き着くための修業をしたかった部分がコンセプトの根幹にある。以下2008-2010年に書いたものより抜粋。
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自分自身を顧みるに、過去に自分がやりたいと思っていたようなことは、たいてい達成できたor納得行くまでやったor途中でどうでもよくなったorがんばったけどダメだった、ってな感じで、今後何しようかな?どこいこうかな?どうすべきかな?と言うのを想定できない状態がしばらくつづいている。それで、「ふらふらしていたい」と言うのを実行していた。何か思いつくまで、多種多様なインプットを得つつ、様々な物に触れて可能性を探り、自分を刺激してくれる何かを求めて浮浪していた。結果、24回引っ越して完全に道を踏み外したが、何をどうすべきかイマイチ良くわかってない。
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ふらふらする過程で、各地で散文詩を残したりもした。なぜなら、目的無くふらふらしているとマジでやることが無くて知らない街で途方にくれ、PC開いて何かを書くしかなくなるケースが多々あるからだ。
例えば以下はシンガポールで上記のテンションに陥った際の自動書記。
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0.0 働きたくないお!働きたくないお!
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現在、シンガポールのブギスのホテルでこれを書いている。徒歩数分の範囲に原宿的な若者で混み合う安ファッションエリアやら電子パーツがそろう秋葉原的なエリアやらファーストフードが軒を連ねている待ち合わせスポットやら無印良品のできる予定のこじゃれたショッピングセンターやらがある。バーガーキングで買ってきた飯を食い、レッドブルとコーラを交互に飲みつつパソコンを開いたら、ホテルの部屋では無線LANが利用できない事に気づき、WEBが閲覧できなくて発狂しそうになり、オフラインでできる事を必死に模索した結果、そうだ!文字を!書く!俺は!書くのだ!というテンションに(おそらくレッドブルのせいで)なり、以前より書こうと思っていたいくつかのテーマをまとめてみる事にした。先日ニューヨークに滞在していた時も同じテンションになり、4万字くらいのよくわからない「何故10時間散歩をするのかと言う理由についてのエッセイ」を書きかけ、疲れ、眠くなり、けど散歩についての文章を書いていたら散歩したい欲求がでてきたので深夜4時のマンハッタンで唐突に散歩しにいったことがあったけど、今回もそれとおそらくは同じ感じ。書く内容は労働についてだ。最近書いている自分のブログに「はたらくってことがよくわからなくなってきたので、4月以降にまとめる」という記述があったので、いい機会と思い、疲れ果てて眠くなるか働く気が起きるまで文章を書いてみようと思う。テンションおかしいけど。
俺がLUNA SEAを脱退してからというもの、特にやることもないので、なんとなく色々なところで働いてみたり、何となくふらふら10時間くらい散歩したり、20回くらい引っ越したり、ロッキー山脈の街で引きこもってネットみまくったり、ニューヨークを散歩しながらネットみまくったり、新宿駅徒歩五分に住んでネットみまくったり、渋谷駅徒歩五分に住んでネット見まくったり、なんとなく富士山頂にハンバーガーを1メートル積んでみたり、なんとなく一日三食激辛カレーを食ってみたり、なんとなく同じ日に京都と大阪と渋谷で散歩してみたり、なんとなくシンガポールに移住しようとしてみたりして、色々な経験をした結果、その甲斐あって、全宇宙をつらぬく普遍的な真理というか、自分の人生においてとても大事な事に気づいた。
それは、俺は!働きたく!無い!ということだ。
大事な事だから二回言いますが、俺は!働きたく!無い!!のだ。
働きたくが無い故、様々な人に会って自分が特に興味がないものをのぞいてみたり、色々なところに行ってボーっとしたりしていたこの10年あまり。そうしたNEETでホームレスでジプシーでモラトリアムな日々で得た、最重要の絶対的な真理。それは、
俺は!!働きたく!!無い!!!
ということだ。何をするにもお金がかかるし、働く事で得るものとかもあったりするので、労働条件次第では働く事にやぶさかではないものの、俺は本質的には素直ニートであり、働かずにふらふらしていたいと言うのが自分の求める物のすべてだ。今ナチュラルに「すべてだ(キリッ)」と断言したけど、「すべてと言っても過言ではない」と書かずに断言したのは東南アジアのごちゃごちゃした都会で疲れ果ててレッドブルを飲んでテンションあがっているせいではないと思う。今そう神に言われた。脳直で。寝て朝起きたら恥ずかしくなってこの文章を消すかもしれないけど。ちなみに酔ってはいない。ということで、労働について日々考えている事をまとめるべく長文を書くよ。
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0.1 ここ二ヶ月で考えた事
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毎年手帳を買い替えているのだけど、書いた事はテキストデータにおこしてCtrl+Fで検索可能にしておきたいので、意味不明な事やくだらないことが書いてあってもだいたいデータにしてあって、たまに眺めてみては当時の自分の考えが読めずに首を傾げたりしている。例えば最近のメモにはこんな事が書いてある「何様バッタ?」「後衛でウンコ投げつけたい」「カレーちょっぴりナイフたっぷり」「俺は帰ったら写経をする!」一応データ化してある。で、その中から比較的まともそうなものを一覧にして、当時の自分の考えていた事や行動の履歴をまとめて、自分の行動を計測して次のアクションを決めたり、それを無視してだらだらしたりしている。 
で、その上澄みをなんとかがんばって抽出してtodoリストを作り、暇なときにそれを実行してみてるんだけど、リーマンショックをを起点とする不況の影響で暇になり、また、それも不況の影響なのか航空券も安くなっていた。なので、2007年から自分の手帳にあった、「住みたいとこが見つかれば海外に移住する。移住先の候補としては川とか海に囲まれたエリアの島とかで、自動車を持つ必要がない公共交通機関の発達した都会。具体的にはニューヨークとかシンガポールとか。あとベニスはJOJOで読んで以来波紋の修行をしにいきたい」という感じの事を実行すべく、色々と調査していた。
で、結果としては満足している。NYには、現地の大学に用事があったり、ワールドトレードセンターの現場を見てみたかったりで以前もしばらくいた事があったのだけど、いざ移住という観点で現地に行ってみてみると、予想していた事ではあったけど、町の汚さや生活のめんどくささ、色々な都市デザイン、行政上の不備、だるさ、もうこれからそんなに発展しないだろう感、などなど、色々な側面で我慢ができなかった。なので移住候補としてはリストから消去され、滞在の後半では単に観光気分で散歩したりしてた。それに比べ、シンガポールは、これから発展していく感じがあり、優秀な指導者がキッチリデザインした実験的な都市なので、気温が暑い以外で特に不満点は無かった。それで現地で面接受けたり部屋探しをしてみた。で、今考えている内容としては「日本で得られる収入と比較して同等以上の案件が引っかかった場合のみ移住」という結論。生活は楽しく、メシはうまく、必要なものは何でも売っていて、とても気に入った。反面、日本から出向の現地駐在員として働かない限りは、日本円に換算すると給与水準が落ちる。税金が安い、生活コストが安い事を考えるとそこまで影響は大きくないのかもしれないけれど、すぐに移住するために安い案件にホイホイついていかずに見極めをすべき、というのと、マジであついから汗をかきまくって毛穴が広がり、俺の玉のようなお肌がボロボロになっちまうぜというのがあり(実際この少しの滞在で今人生で一番日焼けしてる)、一旦保留かなという感じ。調べる事は調べたし、できる範囲でのテスト生活もしてみた。そうした一連の試行を客観的にレポート化している時気づいたんだけど、こういう「事前に調査目的を明確にして、ベースラインを計測したのちに介入、その経過をデータ化して客観的に眺める」というのは明らかに大学時代とっていた臨床心理とか行動分析学とかの影響だと思う。学生時代に学んだ事というのはその後の人生にも大きく影響を与えているなあというのを、この数ヶ月で強く実感している。労働に関する考え方もそうだ。現在自分が持つ労働観というのは、学生時代にアルバイトや個人事業主として色々な職場をのぞいてみた結果できあがっている。
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0.2 学生時代に働きながら考えた事
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高校時代、授業をさぼって文庫本を読んでた事が多かったんだけど、その頃読んだ原田宗典の学生時代の生活に関するエッセイで、新宿区下落合にある学生向けバイト斡旋所についての文章があり、興味を持っていた。内容については確か山崎パンの工場で12時間ひたすらパンをトレイにつめる仕事とか、ひっくり返す仕事とか、そういう内容だったような気がする。ほかにもその斡旋所の仲介でやったバイトについてのエッセイを読んで、大学に入ったら俺もそれやってみようかなというのがあった。
結局、その斡旋所(確か文部省が運営していた学徒援護会とか言う名前だった。今ネットに繋がってないので検索できない。)の近くに部屋を借り、マジでワケのわからない労働を色々してみる事となった。例えばある日のバイトは時給二万円だった。もともとは9時集合の18時までで日給1万円と言う内容の求人だったんだけど、当日集合場所に行ってみたらなかなか作業が始まらず、30分後に「今日は無しになりました」ということで一万円もらって帰った。国の機関が運営する求人票に出した以上、仕事がキャンセルになっても金払わざるをえなかったのだろう。かと思えば、まったくもって割に会わない労働条件の募集も往々にしてあった。キツくて人気がないのでよく募集がかかっていたにも関わらずに人が集まらずに求人票が剥がされずに残っていた最たるものに、引っ越しがある。引っ越しなんてのは客がいつ申し込んでくるかわからないので、仕事が多い時は引っ越し会社の社員が日雇いバイトを使ってまわしていくしかなく、日雇い派遣エージェントとかに依頼が行くとともに、学生の集まるバイト紹介所にも求人票が張り出されたりしてた。重いものを長時間持ち運ぶキツい仕事でその割に稼げなかったりもしたので人気がなく、必要な人数の集まらない求人票はいつまでも壁に貼られており、近所に住んでいた俺はやる事が無いとそこにいって引っ越しのバイトをしたりしてた。確か200回くらいやって150万円くらい稼いだ気がする。都内近郊にトラックで移動しまくって、帰宅時は適当な現場近くで車からおろされて放置され、自力で道ばたにある地図や標識、看板なんかをチェックしながら帰らなければならなかった(そのころはgooglemapsはなかったし)。おかげで、一人暮らしをはじめてすぐなのにも関わらず、都内近郊の地理には超詳しくなった。知らない土地をふらふらする散歩の楽しみを覚え、引っ越しをするノウハウも身につけたため、その後の10年で勢い余って20回以上も引っ越ししてしまった。引っ越しのほかには定番の交通量調査とかもやった。印象に残っている現場が一つあって、冬の寒空の下で上野とか日暮里辺りの交差点であの「野鳥の会ご推薦の数かぞえ機(銀色)」をペチペチ12時間していたところ、現場近くの韓国料理屋のおばちゃんが「寒いでしょうからウチにきてご飯食べなさい」と言ってくれて、休憩時間に無料で超うまくてあったかいスープとかビビンバとか食わせてくれた。そんなことがあったので、インターネット上で韓国に批判的な記事を見かけるとつい肩を持ってしまう。そんな日雇いバイト暮らしは一年くらい続けたのだけど、その後音楽スタジオで週4~6とかで働くようになり、下落合の斡旋所に行く事は少なくなっていった。
音楽スタジオで働くようになると、色々なアマチュア-セミプロ-プロのミュージシャンとあって話すようになった。その頃知り合った人たちの中には、今は別の業種で活躍してる人もいたり、プロミュージシャンでまだがんばってる連中もいたり、アニメの音楽やってる人もいたり。興味を持って仲良くなって方々とは今でも遊んだりライブ見に行ったりしてる。音楽関連の仕事なんていうのは、やりたい人が多い分、需要と供給の法則により収入は少なくなる。みんな音楽を好きでやっているわけで、ギャラが安くても俺がやります!なんてやつはいくらでもいるのだ。レコード会社とかイベント会社とかは営利企業なので、安く雇えて利益を出せる方がいい。そんなわけで、ミュージシャン連中は副業をするか、音楽自体を副業にするか、音楽は趣味としてサラリーマンになっていくか、だいたいそのどれかだ。たまにカネの流れを勉強してうまく立ち回った結果、結構な額を稼いだりするヤツもいる。有名どころから例を出すならば、小室哲哉はコンポーザーとかプロデューサーとしての権利関係で稼いでいた筆頭だし、たまにLAの豪邸がテレビで紹介されるYOSHKIとかも自分でインディーズレーベルをたちあげて原盤権とかをちゃんと勉強して利益を出していったベンチャー社長のようなものだ。ルールを理解して利益の最大化をしたと。自分がスタジオで働いていた当時はビジュアル系が流行っていて、今もネオビジュアル系として活躍してるような連中がお客さんで来ていたのだけど、彼らの利益がどこからでるかと言われればそれはツアーグッズからだ。CDは出してもそれ単体ではプロモーション費用もかかるので赤字、ライブをやっても各種経費で赤字。それでも活動全体で利益がでるのは、コアなファンがライブ会場で原価の割に何千円もするグッズを買ってくれるからだ。ほかのジャンルのミュージシャンやアイドルも、基本的にはその辺の利益で回している。だからめちゃくちゃな内容のファン向け企画とかグッズが乱発される。利益に直結してるから。レコード会社やマネジメントに金が回るだけで本人には流れないケースが多いけども。
学生時代の初期にやってたバイトと言えば、ほかには演劇の音響とか、結婚式の音響とかで曲を流したり音源を作ったりするバイトもしていた。DTMで得た知識を趣味と実益を兼ねた感じでやっていたんだけど、普段自分が行かないところとか、関わらない人たちと出会えて面白かったなあという感じ。
で、上記三つ「日雇い肉体労働」「音楽」「演劇」という現場で共通してる事が一つあって、それは何かと言うと、みんなカネがないのだ。いくらでも交換可能な労働力が常に供給されているし、自分の好きな事をやるためにとか、ほかの仕事したくないからとかで安くても請け負ってしまう傾向が高いため、最低賃金の観点からは確実に違法なくらい安い賃金で仕事をする事になる。肉体労働に関しては、毎日働けないとか毎日働きたくないとかの理由で月収が低い場合も多い。カネをもっと稼ぎたいならば、ほかの職種につくとかちゃんと働くとかをしないとダメだなーと、その頃感じていた。ハタチ前くらいの話。
で、たまたま時代的にITが流行っていたというのと、以前から自分がDTMとかでパソコンに触れていて慣れていたので、IT業界に手を出した。国内発のベンチャー企業ががんばっていたホリエモン逮捕以前の話。自分の性格とか適正を考えたときに、大企業で一生雇われて暮らしたら鬱屈して死ぬなーと思っていたので、就職活動をしようとも思えず、反面、若者が野心を持ってゼロから何かやろうっていう発想には共感できた。色々誘われたのもあり、大中小、様々な規模のITベンチャー企業をのぞいてみた。あるところでは数日顔を出して仕事を見せてもらっただけだったり(レポート書いてお金をもらったりもした)、あるところでは数ヶ月一緒にはたらいてみたり、いくつも掛け持ったりしてた。同僚の中には学校を中退してベンチャーにガッツリ入っていく友人達もいて、凄く楽しそうではあったものの、自分は100%そっちにいこうという結論にはならなかった。なぜかというと、凄くリスキーに思えたから。
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0.3 上の世代を見ながら考えた事
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子供の頃から人生経験豊富な年上のジジイとかオッサンと話すのが好きだったので、学生時代からいろんな業種の経営者とメシ食ったり酒飲んだりしていた。そいつらの考えとか経験を聞いておいたら自分の人生の役にたつという打算もあったのだけど、それをしていなかったら、ITベンチャーで何も考えず泥のように働いていたかもしれないな。経営者視点を見聞きして、リスクを考えて動く習慣があったので、とにかくまず手を動かすとか、後先考えずに限界まで働くという発想にはいたらなかった。求める結果が得られるかどうかの結論が出てから動かないと、がむしゃらに走って崖から落ちたりする。オンザエッヂ。崖から落ちたのは誰かにはめられて落とされたのかもしれないけど、ホリエモン逮捕以降は「がんばってもでる杭打たれちゃやってらんねえわ」と思ったのかどうか、ベンチャーの友人がどんどん業界を去っていって、大企業のIT部門で働き始めたり、違う業種になったり、実家へ帰ったり、ニートになったりしていた。会社を立ち上げた友人のうちいくらかはまだ続けているが、スタートアップを自分でやってて、失敗して借金を負ったりどこかへ消えてしまった奴らも。彼らのようにがむしゃらに真っ直ぐITベンチャーに腰を据えて頑張れなかったのが悔いが残っている感じでもあり、変化の激しい楽しい時代を生きれたなあという回想モード老兵のテンションだったり。
で、がんばっては消えていく友人達を横目で見ながら思ったのは、「どう時代が変化しても、会社が潰れても、どこででも暮らしていけるスキルをつけよう」みたいなことだ。その一環として、もともと口べただったのにベシャリがきくようになり、交渉力もついたし、英語もできるようになった。英語に関しては、遊び友達の外資系ITの連中と英語しゃべりつつ遊んだり飲んだりして身についたって側面が大きい。いろんな外国の大学の寮に遊びにいって寝起きしてたのも一助になった。オフィシャルな単位がもらえるような留学はしていないけど、なんか好き勝手遊んでいたら身に付いた感じかな。それで、英語とITができるっていうことで、外資ITとかで働いたりもしたんだけど、そういう流れのおかげで今海外移住とかが現実的に考えられるようになっている。英語とITができれば、各国で使われているや技術にそう違いはないので、どんな業界でも、どんな国でも働けるのだ。しかし、それができるということは自分が交換可能な歯車である事の証明に他ならない。ほかの歯車とコミニュケーションができて機構を回していくことはできるから、ニューヨークやシンガポールにその歯車を持っていっても現地で既に動いている他の歯車の間にはめ込んで使えるけど、どこかにある動力を伝えていく機能の一端としてしか動けないし、メインで動力を生むユニットの方が優遇される。金融であれば、動力であるトレーダーや商品設計の方が桁違いに稼げるだろう。クリエイターとしては、ステージに立ったりするような立ち位置ではない。俺はそういった奴らの周辺で手伝えるだけだ。少なくとも現状は。
国内ITベンチャー、外資ITをふらふらしている中で、色々な人と出会ったのだけど、そういうとこに入ってくる人で、日本の有名企業ではたらいて、数年で退職したっていう人たちとたくさん出会った。フジテレビを数年で退職してITベンチャーに来た人、新卒からIBMで働いて、退職して外資で派遣労働してる人、大手商社を退職してベンチャーを立ち上げた人。みんな、受験に勝ち抜いて、就活に勝ち抜いて、高い年収が期待できる企業に入って、そしてやめた人たちだ。書ききれないくらい多くの、若くして大企業を退職した人たちを見てきた。日雇いバイトの現場にもそういう人たちはいた。一人や二人じゃない。
勝ち組企業と言われるような「いい会社」に入った人たちがどうして数年でやめるのか?どうして何分の一の給料のところで働いたりバイトしたりしてるのか?話してみるうちにとてもシンプルなことに気づいた。彼らが退職した理由はつまるところ2つに大別され、その二つとは、過労か鬱だ。つまり彼らは、働いていたから辞めたのだ。仕事をさぼっていたから首にされたわけではない。朝早く起き、満員電車に乗り、ストレスの多い職場に行き、上司に耐え、職場のプレッシャーに耐え、日付が変わるまで働き、疲れ果てて終電かタクシーで帰宅し、短い睡眠時間を経たのち、再び職場に向かう。土日はずっと寝ているか、仕事のストレスを解消するために遊んでいるか、週末もはたらいているかのどれかだ。だから、心が壊れるか、体が壊れるかという結果になり、職場に戻れなくて辞めざるを得なかったか、とにかく辞めたくて仕方ないような心境に追い込まれたか。そして、退職してからカネが尽き、ふらふらしている学生の俺と一緒に働くことになったのだ。 
全裸で外に出かけて、繁華街を歩いてみたら、数分後にはポリス沙汰。日本の法律では、全裸で外を出歩いたらダメっていうことになっている。人通りの多い町なら現行犯逮捕。捕まらなくても、冬の北海道でやれば、風邪を引くか凍死する。誰でもわかる。あるいは、映画でもあったように、30日間毎日メガマックを食い続けたら体型はどうなる?まあ太る。社会の教科書で学んだように、毎日ちょっとずつ水銀を飲んでみたら?みんな想像できるように、死ぬ。じゃあ、一日16時間、週6日働いたらどうなると思う?それも、日本有数の大企業で、でかい金額や目標を設定されて、休む暇もなく。自明だ。多分、数年で退職する事になる。退職しなくても、心か体を壊すことは、学生時代の俺にも容易に想像できた。
バイト先で一流企業の退職者をよく見かけた。社会に出る前にそういう事例をいっぱい見てきていたので、新卒で大企業に入って働く事はとてもリスクの高い事だと考えるようになった。それこそ、ITベンチャーで闇雲に働くのと同じくらいにはリスキーに見えた。年収の高さを求めるのであれば、一部上場企業とかマスコミ、人気企業に入社して年功を積めば一千万を超えたりもする(といわれている)けど、学生時代に働いていて、そういう場所からドロップアウトした人々と話す中で思ったのは、「目先の一千万や二千万で人生棒に振りたくないし、ましてや死にたくない。」ということだ。あるいは単純に平均値を計算すると視点が変わるかもしれない。年収が多い職業というのは、だいたいが責任を引き受け、ストレスが増える。その代わりに額面が多くなっている。
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0.4 ガンガンいくなら調べてからいこうぜ
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5年間年収1000万円で働いて、退職や求職をして、3年間収入がゼロになれば、8年での合計収入が5000万で、それを8で割って625。つまり、年収625万の企業で8年間何事もなくはたらいたのと同じ年収という事になる。実際は、再就職するのがキツかったり税金や生活費がかかってくるので、もっと低くなる。
新卒でいい企業(と言われている企業)に入った周りの友人達が年齢を重ね、かなりの高確率で体や心を壊しつつある。みんな何かの錠剤(大半は心の薬だ)を飲み、入院したり休職したり退職したりしている。みんな優秀な人材で、賢く対人スキルもある。それなのに、なぜそうなってしまったんだろうか。それは、おそらく、労働の辛さとか、退職した人の事例とか、そういったネガティブな側面に関する情報がなかなか手に入りずらく、また、年収とかステータスとか、みんなが憧れるような側面がクローズアップされすぎるからだ。みんな、会社を選ぶときに、その会社で働いていて過労で死んだ人とか鬱で退職した人に関しての話を聞きにいくんじゃなく、10年後に年収がいくらになるかとか、人気企業ランキングで何位かとか、福利厚生がどうだとかで判断しているから、入社してから死ぬんだ。がむしゃらに働く事自体はいい。勉強にもなるし稼げたりもする、「いけいけどんどん」で「元モーレツ社員」の下で働くのもいい。元気に働く人が日本を支えている。元気ならば。元気に働けるのであれば。でも、その前にそれをやって死なないかどうか調べてみてくれ。多分、死ぬから。死ぬ価値がその仕事に、職場にあれば、やればいい。残される家族が幸せならば、やればいい。日本では、会社のために死ぬ社員を、みんなが評価してくれる。けど、できれば、ガンガンいくなら調べてからいこうぜ。死んでも教会で生き返る事はできないから。魔王を倒して世界を救うためになら死ぬ価値はあるかもしれないけど、ザオリクのない世界で、自分が死ぬかどうかってレベルでがんばる価値のある事は、そんなに多くない。そして、それは大学3年のときに100個エントリーシートを書いたうちいくつか受かった、10年後や20年後にいい年収が狙える会社のためにではきっとないはずだ。大企業だろうがブラック企業だろうが、そういう情報は隠すだろう。だから、死なないように調べてくれ。たまたま学生時代に色々なところで優良企業退職者と話す事ができた自分は、単にラッキーだったからそれが回避できただけだ。俺が、ITベンチャーや大企業で働く事がリスキーだと言う考え方に至ったのは、学生時代からそこで働く人や働いていた人を見てきたからであり、卒業前に気づけたのでリスクヘッジができ、色々な状況に対応できるように自分を鍛える事ができたのだと思っている。
現在も優秀な友人達が死んでいっている。俺はそれが悔しい。リストラに会ってキャリア的に死んだり、起業に失敗して社会的に死んだり、大企業につとめ続けて心や体が死んだり。どうにかならないのかと思って模索したけれど、ならないようだ。管理がわからしてみたら、いくら優秀な若者であれ、死んでいくレミングスのうちの一人でしかない。
何の話だっけ?
そんなわけで、大企業で働く事は、学生頃の自分にとって、とてもリスキーに思えた。自分でアサイン先を選べない、仕事内容を選べないのであれば、損をする確率が高い。過労や鬱になった場合は将来にわたり損する。だからこそ、どうにかならないかなと色々考えてみたんだけど、俺はあきらめた。生活費を稼ぐ=生きる為に働くのが目的なのであって、死ぬ為に働いているわけではない。仮に死ぬ為に働くのなら、もっと楽しかったり満足度が高かったり、世の為人の為になる職業に就けばいい。有名企業や平均年収の高い会社に入れば勝ち組とか言われたりするけど、その勝ちは本当に勝ちか?俺の友達でマスコミに入ったヤツとかはかなりの割合で退職してるぞ。心か体を壊して。20代で年収1000万を超えます。超えますよ。生き残ることができれば。宝くじを買わないのと同じ事だ。胴元が儲けて、くじを買ったヤツは基本的に損をする。俺は人事ではないので各企業がどうやって公表する平均年収を算出してるか知らないのだけど、おそらくその式は「現在雇用者に支払ってる額÷社員数」とかじゃないだろうか?わけの分からない労働条件ではたらいて死なずに過ごすには、責任範囲を明確にして地雷を踏まないようにしたり爆弾を押し付け合ったり生き残るために敵を倒したりしなければならないのだと思う。子供の頃、そういう遊びが無かったっけ?
収入が高くても、色々な負債を負いながらどんどん退路を断って疲れ果てていく人生。その為に勉強して大学にはいって就職活動を勝ち抜いていったわけじゃないだろうに。
いずれ才能は枯渇し、美貌は衰え、頭の回転は鈍り、体は老いる。業種、職種、雇用形態の違いなど微々たるもので、どの道を行っても結果として若さを売っている事に他ならない。
声を大にして言いたい。「働きたくないお!働きたくないお!」「働きたくないでござる!絶対に働きたくないでござる!」「働いたら負けだと思っている。」本当にそのとおりだ。多くの労働者(それも日本語を母語とする)に共感を呼んだからこそ、インターネット上でそれらの言葉は大量にコピペされるんじゃないだろうか?
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0.5 働いたら負けだと思っている
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働いたら負けだと思っている。
カネが十分にあって、何もしなくて暮らせるという状況でも、それでもやろうと思える事を仕事にするべきなのであって、カネのためだけに仕事をして人生を無駄にすることはない。働いている間はとりあえず負けだ。勝ち組、負け組などといって労働条件の二極化を嘆く声もあるが、組にはいっている時点でそれは負けだ。「そんなに負けてもいない気がするけど冷静に考えたら負けている組」と「一般的になんとなく負けだと思われている組」があるだけだ。 
働いたら負けだと思っている。なぜなら、働いたら死ぬからだ。生きるためにカネが必要で、そのために働いているはずなのに、なぜかゆっくり自殺していくような働き方が蔓延している。みんな死にたくはないはずだ。なのに何故、少しずつ自殺していくような働き方をしてしまうのかというと、日々の摂取量が少しづつなので、毎日繰り返してしまうせいだ。おなじみの青酸カリには致死量があるが、それは一口でさっくり飲み込んでしまえる量だ。しかし、常識的な量なら摂取しても問題ない、食塩や飲料水にも致死量がある。それはちょっと体が拒否反応を起こしてしまうくらいの量なので、勢いで一度に口にしてしまう事は確固たる自殺の意思無しにはできない。
働いたら負けだと思っている。では、何をしたら勝ちなのか?そのために死んでも悪くはない。そんな事って何かあるのだろうか?あるのだ。それは。。。。
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とまあ、こういうこと書いてたら何もやる気がなくなって、帰国してから毎日12時間寝たりしてるわけですけれども。
長いのでもう一つだけ。以下はニューヨークでなぜふらふら散歩しているか考えた妄言。
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現在深夜四時。
ニューヨークのイーストビレッジにいるんだけど、周辺のクラブやバーから吐き出されくる酔っぱらいがうるさくて、3時に起きてしまった。すぐには眠れなさそうなテンションだったので、ザ・フライデーナイトな感じで発狂してる酔っぱらいにまみれた周辺を小一時間散歩して、戻ってからこれを書いている。
 昨日は朝の5時から夜9時くらいまで休憩を挟んで10時間程度、電車やバスを使わずにマンハッタン内外を散歩していた。最近、東京で生活するのに飽きていたので、千葉の郊外に引っ越したり、海外含めて色々なところに8時間散歩したり10時間自転車で爆走しにに出かけたりしていたけど、慣れない土地や初めての国を歩くのはずいぶん楽しかった。
NYで会おうと思っていた友人と、日程とか会って何食うかとかをスカイプでやり取りしながら話していたら、俺の最近の生活の話になり、「順を追って話を聞くと普通なんだけど、はたから見てると発想が飛びすぎてる。なんで電車に乗らずに3時間歩くのよ?意味不明だから、自分の思ってる三倍以上は説明すべき」と言われた。そのとおりだと思う。ので、当社比300倍くらいで説明するために、以前から書こうと思ってたテーマも含めて長めに書こうと思う。たぶんなんかすげえながいよこれ。
1.どうして3時間歩くのか?
1-0・体のための運動と頭のための運動
健康のため、定期的に運動をしている人が多い。交通手段が発達している今日この頃なので、体を使う仕事をしていない限りは、慢性的に運動が足りてない状態にある人が多いと思う。子供の頃は、周りが管理してくれていた。健やかな発育を期待するためか、体がなまらないようにするためなのか、ガス抜きをして不良の発生を押さえるためなのか、義務教育の段階から体育の授業や部活動をやらされる。でもまあ、中学後半から高校くらいからは、多くの人が運動をおろそかにしてしまいがちだ。受験勉強で運動までする余裕が無かったり、不良化してそもそも学校に来ていなかったり、タバコすってるから運動がダルかったり、ほかの遊びを覚えてそんな暇なくなったり、大学に行くよりは家でパソコンを触っていたかったり。そんな高校から大学生活を経たのち、社会人になってから、みんな運動の重要性を思い出して、週末フットサルをやったり、山登りをしたり、サイクリングをしたり、帰宅時に一駅よけいに歩いてみたり、万歩計を持ち歩いてみたりしている。そうした場合、運動をする際のモチベーションは、ダイエット目的だったり、メタボリック対策だったり、成人病予防だったり、何かしら健康維持や見た目の向上の為のものであることが多い。
でも、体の為じゃなく、頭のためにそれをやっている人たちもいる。頭も体の一部と言えばそうなんだけど、ここで言う頭のためっていうのは、考えをまとめたり、思考のスピードをアップさせたり、頭脳労働を効率的にやっつける為だったり、気分転換して新しい何かの着想を得る為だったりってこと。運動をする理由が、美容や健康の為じゃなく、頭脳をいい感じに使っていく為にするっていう人がいたりする。研究者やプログラマと言った頭脳労働者、エグゼクティブや経営者なんかと話していると、その傾向が高い。それと、ストレスのたまる職種の人が、気分をすっきりさせたいが為に運動してるケースもよく聞く。
常に新しいことを思いついたり、根を詰めて考えたりしなきゃならない職業の人は、脳を酷使して追いつめられてるから、気分転換をする為に運動しているって場合が結構あると思う。村上春樹は水泳をしている。泳いでなかったらあの文章は書けただろうか?マラソンをしている作家、ジョギングをしているエグゼクティブ、彼らは、自分の脳をより上手に使っていきたいが為に運動しているって言う側面も結構あるんじゃないんだろうか。最近だとIT技術者も自転車通勤したりとか、泳いだりとか、定期的な有酸素運動をしている人が多いかと思う。脳を使う為に必要なことだから。
脳内の血流を定期的に循環させ、いい感じに酸素やら必要なモノやらを脳に運ぶことが出来るっていうのは、頭脳労働者には大きなアドバンテージになりうる。「脳が活性化するから」みたいな、なんとなくの根拠の無い非科学的な説明をしたいわけじゃないんだけど、脳に必要な糖分とか必要な物を運んでいるのは血液に他ならないわけで、その流れを定期的に循環させたり、たまに速い循環速度でまわしてみたりした方が、脳がいい感じに動いてくれるんじゃないのかってこと。
しばらく使ってないエアコンは排水パイプが詰りやすいとか、しばらく自動車にのらないでガレージで放置しておくよりは普段から動かしてる方がエンジンも調子がいいとか、人が住んでいない部屋は空気の循環が悪くてカビが発生しやすいとか、そういう感じで、中枢の機能に必要なパイプを錆び付かせないように、普段から使って流れやすいようにしておくと、いざって時もいい感じに流れてくれて、機能が損なわれることもない。有酸素運動を定期的にすることで、そんな効果がある。ハズ。おそらくたぶん。
  1-1・効率的に頭のねじを外していくには、極端な有酸素運動が必要なんだ。
で、ここまではある程度普通の運動量の話。
極端な運動をなぜ求めているか。一日一時間散歩する、とかじゃなく、それが10時間とかになる理由は、おそらく「頭脳労働者」よりももうちょっと悟りきったテンションで暮らす為、「修行者」的なレベルの運動をしたいからだ。特に意識してそうして来たわけじゃないけど、得られた結果から考えてみるとそんな感じなんだと思う。
極端な距離を歩いたりするのは、紀元前前からきっと普通に行われて来てる、トラディショナルでポピュラーなソリューションだと思う。宗教で修行の為に聖地まで超歩いている場合とかもあるけど、それも信仰に必要な精神状態を保持するのに必要だから教義に組み込まれていたりするんじゃないだろうか。ガンジスを目指すインドの人もそうかもしれないし、禅寺の毎日の労働もそうかもしれないし、修験者の修行や各宗教の聖地巡礼にも、長時間動いて血流を循環させるのに役立っていたんじゃないかと思う。なんていうか、それだけ極端な有酸素運動をしてたら、そりゃ悟りも開けますよ。食事制限や断食もあわせると効果大。で、各宗教で信者の皆さんに配られるマニュアルにその手順を書いておけば、みんな発行元を信用しているので、効果の有無とかそれをやる理由を明示しておかなくてもやってくれて、いい感じの精神状態をキープしてくれたりする。
ちょっと話が飛躍して紀元前とか悟りとかヤバい感じになって来たので、現代の若者の話にもどします。
運動と頭の関係って言うと思い出すのは、ガリ勉より文武両道のヤツの方が受験で成果が出せるということ。
学生の頃、勉強と運動を両立してたヤツの方が最終的に結果を出せていたように思う。机にかじりついているだけのガリ勉では、なぜか負けてしまう。部活と両立できてるヤツは勉強時にも時間のマネジメントが出来てるから効果が出せているのかもしれないけど、思うに、それだけじゃなく、上で書いた血流なんやかんやの話が勉強にかけた時間に対しての効率をかなり変えているんじゃないかと思う。自分の知る限り、受験一本にしぼるよりは運動部と両立していたヤツの方が国立とか旧帝とかにいっているし、医者やら弁護士やらになっている。ガリ勉では肉体的な機能や血液循環の衰えとともに頭の回転速度も下がるんじゃないかな。受験に限らず、ビジネスで成功した人とかは有酸素運動してた時期があったり続けてたり。
けどまあ、その程度の循環機能の確保じゃなく、もうちょい極端に血管や心肺を使用して極端な精神状態を保っておきたいと言うのが自分のスタンス。それで何時間も歩いたり自転車に乗ったりしてる。健康かどうかと言われたら不健康かもしれないし、正常かといわれたらやはり異常なのかもしれない。けどまあ、自分が欲してるのはそっち方向だろうなとも思う。
なんというか、普通じゃない成功をしてる人は普通じゃない運動もしてたりするのよね。(みんなが知ってる偉人があまり思いつかないのだけど)アップルのCEOスティーブジョブスは、若い頃飯を食う金が無くて、最寄りの仏教寺院まで10キロ程度の距離を徒歩で歩きまくってタダメシにありついていたそうな。その運動をしてた時期が無かったら、彼の精神力や発想力、意思力は現在言われているくらいまで向上していただろうか?
ぶち切れた意思力を手にするには、効率的に頭のねじを外していくことが必要で、それには極端な有酸素運動が有効なんだ。断食や食事制限もするとさらに効果的。その効用ははほとんど人類史と同じ長さを使って実証されている。ドクター中松とかジョブスとか、有名人やら変人の事例を持ち出すととたんに説得力がなくなってくるけど、ようは、ジョギングの強まった版みたいな感じなんですよ。
自分にとってはすげえ理にかなってるんだけど、端から見たら訳が分からないってのは確かにまあそうだ。変人になりたがっているって思われてしまうかもしれないけど、それはある意味正解である意味不正解。通常よりも澄んだ精神状態で気持ちよく暮らしていきたいだけなんだ。それが変かと言われれば、変ではある。
ここまで書いたら夜があけた。散歩に行って、気が向いたら続きを書く。
  1-2・ちょっとした空き時間でやけにはかどったり、ふとした瞬間頭上に電球灯るしね。
長時間散歩していると、突如として新しいアイデアがわいたりする。その際、メモとか携帯電話とかラップトップを持っていけば、極端な有酸素運動で何かひらめいたときにすぐ作業を始めたりメモったりできる。それに、歩いているといろんな情報が入ってくるから、発送の助けになったり、何かの際に散歩中に見つけたものを思い出して役立ったりもする。だから地下鉄に乗って狭いスペースに押し込められつつ他人の背中とかつり革とか広告とか携帯の画面を見てうんざりしているよりは、310時間歩きながら景色や人々の生活を見ていたい。その方が、体にも心にも良くて、かつ、短期的、長期的にカネになるはずだ。
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一言で言うと、「何か発見があるかと思ってふらふらしてたけど、それも飽きた」かなあ。。。まあ、俺の書くことはだいたいにおいて「そんな妄言吐いてるなら働けよ」の一言で片付く類の内容だな。

自分がやりたいことが無いので、「十分なお金と時間があったら何するの?」というのを色々な人に聞いて回っていたのだけど、ヒアリング結果をちょっとまとめてみたい。





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1-9 「十分カネと時間があったら何すんの」アンケート結果簡易まとめ。
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といった感じにふらふら生きていて、暇すぎて死にそうになっているのだけど、「何をやるべきなんだろう?」「何をやりたかったんだっけ?」「何なの?死ぬの?」みたいな状況に陥り、自分でいくら考えても結論は出ないんじゃないかということで、人に会うたび「お金と時間が十分にあったら何します?例えば、3兆円個人資産があって、今から3年間仕事をしなくても良くて、かつ、望めば今の仕事に戻れるとしたら何します?」「明日、大富豪の俺様があなたの口座に3億円振り込んだら何します?」「宝くじが当たったら何したい?」「金のために働いてるとしたら、カネが自由になったら次は何するの?」「3ヶ月休みがあったらどこ行きたい?例えば俺が全部費用持つとして。」などなど。聞き方は色々だけど、つまるところ、「一番したいことってなに?」というのが質問の本質だ。本当に、ほかのすべてを犠牲にしてもただひとつだけ欲しい物を考えてみる。思い浮かんだら次は、「いくらで買える?そもそも金で買えるのか?」。自分が欲しい物が無いので、会う人会う人、「最近欲しい物とかある?」とか聞きまくるんだけど。。。。
相手が若かったり学生であれば、物欲寄りの答えが返ってくる。旅行したい、趣味に金を使いたい、などなど。サラリーマンの場合は、自分で金を稼ぐようになっているので、もう少し自分の生活に即した使い道がかえってくる。具体的に家庭にかかる費用のこととか、マンション買うとかそういうの。起業とか投資とかが答えとしてかえってくる場合も多いけど、サラリーマンの視点からの投資願望は、雑誌や新聞やWebで聞きかじった断片的な投資情報にもとづいた緩い経済的成功を夢見たような解答が多い。おそらく、雇われの身にとっては起業も投資も想像の範囲外にあるので、小学生が将来の職業に関して答える時のような大雑把な願望ベースの返答が多いようだ。断片的な情報から夢想する、何となくの資産運用とリタイア生活。それ以外は子供の学費だったり住居をどうするかとかの、普段自分が抱えている家庭の経済的不満を解消したいという内容が多い。

面白い答えをくれるのは、自分で商売やってる奴らだ。自営業の友人にその質問をぶつけると、彼らの現状に即した非常にリアリスティックな解答がかえってきて大変参考になる。以下何人か抜粋。
「実家の仕事で親が3億円借金してるから、それを返してあげたい。他のことはそのあと考えたい」
「今は自分の会社を立ち上げたし作りたいソフトがあるからそれに使うと思う」
「親から継いだ会社の体質がふるいから、色々再構築するために金を使いたいね」
「まだ商売を一人で回せないので、早くそれができるようになるために使う」
 以上が大雑把な簡易まとめだけど、そんな感じに、久しぶりの友人にあったり、新しい知り合いができたりすると、上述の「ヒントを得るための質問集」を投げつけて辟易されたりしている。教えてくれ。暇だから。あなたが何に興味があるのかを。
2010年中は暇だからいろんな人に会って、そんな質問をしたり近況を聞いたりしまくっていた。


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